はじめまして、なかもんです!
現在僕はフリーランスとして主に下記のようなことをしています。
- スマホゲームの企画
- クリエイターさんや経営者さんのマネジメント
- 多くの人が人生に唯一無二を発揮するための自己分析ワーク実施や開発
フリーランスになって約半年ですが、丸7年ほどいるゲーム業界での経験を活かしつつ、他のお仕事も成り立つようになってきました。
今はよりやりたいことである自己分析系の仕事をメインにするため、毎日ブログの勉強をしたり、我流自己分析メソッドの開発に勤しんでおります。
と、耳触りの良い話でいうとこんな感じですが、これまでにいろんな壁にぶち当たったり、裏切りにあったり、重い決断をしてきたりしてきました。
例えば、
- DVの父親の暴力に怯える幼少期
- 宗教にハマって家族を見捨てた母親
- いじめに遭って創作物を晒され笑いものにされる高校時代
- 起業コンサル費用という名目で50万をドブに捨てる
などなど。笑
ただこういうことを経験して、そして乗り越えてきて、人生を楽しんでいる自分がいます。
自由のない、自分という存在を否定される環境は、ただ息をしているだけでほとんど死んでいるような状態でした。
それでも今僕が人生を楽しんでいると言えるのは、あらゆるターニングポイントで他人に流されず、自分で選択した道を歩んできたから。
本当の意味で自分という人生を行きていくことが、どれだけ幸せなことかを痛感しています。
ここでは僕が僕の人生を歩み始めた瞬間の話を起点に、これまでの生い立ちやこれからの想いについて書いていきたいと思います!
僕の本当の人生が始まった瞬間
今は自分の軸を明確にして人生突き進んでおり、周りからも「なかもんってブレないよね」と言ってもらえる機会が増えました。
昔からその気質はあったんですけど、昔は今ほど大っぴらに自分を出せていませんでした。
そんな中でも世界は広いと思い、自分の本当の考えなどを披露する場は決まってネット上でした。
ただそんなネット上でも、自分が身を置く環境には勝てず。
高校2年の夏、当時流行っていたアメブロで発信したことがきっかけで、僕はスクールカースト上位層の女子陣にいじめの標的にされました。
発信内容は誰かを貶めるような内容などではなかったと思うのですが、彼女らの何か癇に障ることを書いてしまったのでしょう。
SNSやブログには悪口を書かれ、
作家を目指して書いてネットに公開していた小説の一文を黒板に書かれ、
男子にも影響を広められシカトされる。
今まで仲間だと思っていた人たちがそうでなくなるという経験は、なかなかに応えました。
それでも僕のことを友だちとして接してくれる人は少数ながらいて、その1人が今でも定期的に会っている親友です。
彼は昔からゲームが好きで、高校3年の春頃には「ゲームプログラマーになりたいから専門学校行くわ」と言っていました。
そんな親友から、小説執筆に没頭していた僕に朗報が届きます。
「小説とかシナリオが学べる専門学校があるらしいよ」
と。
それが全ての始まり。
幼少期に親の顔色を伺って育ち、いい子として過ごすのが当たり前でしたが、初めて周囲からの期待を振り切ってでも、自分の気持ちに正直になろうと思えた瞬間でした。
情報を聞いたその日のうちに、僕は専門学校の体験入学の予約を決めます。
一応進学校に通っていたので大学に進学することを期待されていた僕は反対されることを見越して、原稿用紙10枚分の書き置きを残し、親に黙って一人で東京へ。
行った先はあまりにも理想的な環境。
周囲は同じ志を持つ、やる気に満ち溢れた人たちばかり。
しかも周囲のほとんどが、社会人を経験した大人たちでした。
群れで行動しないとぼっちだと蔑まれる幼稚な環境にうんざりしていた僕は、行きたくもない大学なんかより、この専門学校になんとしてでも入りたいと思いました。
後述しますが、僕が体験に行く前に親とはいろいろあったので、家庭内では僕の希望はすんなり通りました。
ただそれでも父は大学に行って欲しかったらしく、「私立大でも良いから大学なら学費を出すが、専門学校なら自分で支払いなさい」と言われます。
僕は「じゃあ専門学校に行く」と即答しました。
そもそもそれほど裕福ではない家だったので、お金は自分で借りて払おうと最初から覚悟も決めていたのもあり、迷う必要がありませんでしたね。
けど本当に僕の意志が試されたのはその後です。
伯母が僕の進路に異を唱えたのです。
彼女は3人の従兄弟を大学に進ませ、自身もハンドメイド雑貨店やカフェを営むとても立派な方で、今も尊敬している人物の一人です。
そんな伯母から、
「大学に進んでからでも専門学校は遅くないのではないか」
「今後選択肢が狭まってしまい、後悔するのではないか」
「大学でも小説は書けると思うよ」
と意見をいただき、数時間に渡る話し合いをすることに。
人生経験も少ない高校生の身分であり、尊敬している伯母からの言葉はかなり響きました。
ただ、それでも大学生活では意味もなく我慢をしている自分しか思い描けなかったし、ここで引いたらそれこそ一生後悔すると思いました。
それに大学って、将来に明確なビジョンを描けていない人たちが行く場所、というイメージが強く無駄に時間と金を浪費するように思いました。(今はむしろ大学行ってみたいんですけど、高校生当時は周りに大学で遊びたいと言っている人も多く、そういった偏見を持っていました。笑)
僕は後日、その後悔したくない気持ちといろんな専門学校や大学のパンフレットを取り寄せて作成した比較資料を提示した上で、伯母にこう伝えたんです。
「僕の人生に責任を持つのは僕です。伯母さんの言うとおりにして失敗したとき、僕は一生伯母さんのことを恨んでしまうと思う」
と。
すると伯母さんは、
「そこまで言うなら、もう止めない。応援する」
と言ってくれました。
そこからさらに学校の担任や学年主任に進路について全否定され、父を呼んでの四者面談を組まれます。
ただし、当時一番僕のことを考えてくれたであろう伯母と全力で話し合ったあとのこと。
学校の体裁などを考え、僕がいじめらてることすら知らん顔の教師のことなんて知ったこっちゃありません。
ガッツリ1時間ほど討論させられましたが、最後には父が「息子のことを応援してやってはくれませんか」と言い、その場は収まりました。
結果、僕はその時初めて自分で自分の進む道を確定させます。
これからは全部自分で決められる。失敗も成功も、全部自分のものにできる。
後悔しない人生にするかどうか、最高の人生にできるかは全部自分次第。
そのときの開放感と高揚感は、今でもしっかり覚えています。
幼少期に母が宗教に溺れて家庭を捨てた上に父にDVを振るわれてから、僕はずっといい子として生きてきました。
医者や弁護士など、一般的に立派であるとされる職業に就くことを期待される窮屈な環境。
両親が離婚して父の実家に引っ越すまでは、親の暴力に怯え顔色を伺い、弟の面倒を見ながら生活する日々。
引っ越してからも実家にお金を入れず家事もせず、祖母や祖父に文句ばかり言う父の元にいなければいけない状況。
ちなみに専門学校の体験前に、僕は父と祖父母に対する態度について大喧嘩をしていました。
本来逆だと思うのですが、祖父母に対して態度が悪かったのは、先述の通り僕ではなく父です。
正月に寝てばかりのくせに祖母に暴言を吐く父。
その父が喫煙している背中をドツイてやったのですが、何を思ったか父は包丁を取り出して僕に切りかかってきたんです。
幼い頃にも似たようなことをされたのを思い出し、僕は全力で父の腹に拳を打ち込み、髪を掴んで机に叩きつけました。
それから半年間口を利かなかったのですが、陸上部に所属して槍投げをしていた僕の最後の大会を観に行くと突然言い始め、再び喧嘩になってから僕に敵わないことを自覚した父が泣いて謝ってきたので、その謝罪を受け入れました。
そういう過酷な環境や、本来の自分を押し殺さなければいけない人生からの脱却。
これからは全て自分の責任と言われるのが、嬉しくてしょうがなかったです。笑
自分の責任を全部で自分で取れる状況に、どれだけ恋い焦がれたことか。
挑戦できる環境での失敗と成功の経験
それから社会人になり、いろんな挑戦をしては失敗を繰り返します。
- 専門学校へ進み、小説を書きまくって担当編集がつくところまで行きますが、本を出版できるところまでは辿り着けなかったり。
- 社会人1年目の終わりから始めた起業準備中、信頼した人に起業コンサル費用として50万円を支払ったのにほぼその人の事業のボランティアをさせられて、コンサル期間が終了したり。
- 年収UPを望んで初めて転職した先で、終電が当たり前かつ上司がパワハラ体質のブラック企業に勤めたり。
けどそれらは全部僕が選択した道なので、受け入れることが出来ました。
そしてそれらの経験をバネにして、いろいろな成功も経験しました。
- 実は自分でモノ作りするより、チームを作ってディレクションする方が得意だということに気づけたり。
- 起業をするなら何か強いミッションを持っていなければ難しいということを痛感できたり。
- 今後生きていく上での心強い仲間と知り合えたり。
- お金よりも誰と働くかが大事であることを学べたり。
きっと人に言われたり、世間の目を気にしながら行く先を選択していたら、得られなかった失敗と成功です。
そうして失敗や成功を経験する中で、自分という存在の解像度が上がっていきました。
僕はどういう状況でテンションが上がるのか、どういう状況で落ち込んでしまうのか。
自分の得意の分野、苦手な分野、好きなこと、苦手なこと。
それぞれを詳細に把握できればできるほど、全てが生活の中で活かされていきました。
自分を知れば知るほど幸福感を得やすい環境に自分を移動させることができることを知った僕は、自己分析にどんどんハマっていきます。
人生に没頭する、その人ならではの方法がある
自己分析や自己理解にハマって以降僕は、ストレングスファインダーや動物占い(個性心理學)やエニアグラム、その他様々な書籍で紹介されている手法で自分のことを探っていきました。
そしていつしか、人生にとって最も大事で幸福度を恒常的に上げることのできる軸を発見します。
それは、価値観です。
自分にとって必要不可欠な考え方は何なのか。
そして最も突き詰めたい考え方は何なのか。
価値観に優先順位をつけ、それらをどう達成していけば良いかを理解し実践していくことで、僕らは進みたい方向へ着実に進むことが出来ます。
高校生当時、僕は自己分析をしたり感情を言語化したりすることはしていませんでしたが、(そもそもそういった思考や技術がありませんでしたが)群れることを嫌い、没頭できることに一心に進んでいきました。
そして社会人になった後も、人生の停滞を感じたり違和感を感じたとき、必ず何かしらの挑戦をしました。
今振り返ってみるとそれらは、自由、好奇心、没頭などといった価値観を重視して直感的に動いていたのだと思います。
もしそれが直感でなく、人生のコンパスとなる価値観を理解をした上で、正確にそれに沿えていたら。
人生に無駄はないと思っていますが、より洗練された今があったと思います。
人生楽しんだもん勝ちッ!
今までの生い立ちや、没頭やらなんやらといろいろ書きましたが、要は人生楽しんだもん勝ち!
それを僕の人生を通して語っていきたいと思っています。笑
じゃあどうやったら、余すことなく人生を楽しみ尽くせるか。
それが何かに没頭し、自分ならではを生み出すことだと、僕は考えます。
僕が小説などの創作にハマったのも、自分にしか生み出せない物語、魅力を表現できればと思ったからです。
自分の作った作品がアニメ化されることで、唯一無二の自分という存在を世界に知らしめることができる。
そして作品で人々を感動させることができる。
そんなにWin-Winで面白いことがあるだろうかと思いましたし、今も思っています。
で、何かに没頭して唯一無二を、その人のオリジナリティーを生み出すためには、自分を知ることが必要です。
自分を知らなければ、本当の意味で自分がやりたいことはわかりません。
当てずっぽうでいろいろやってみるのも一つの手ですが、正確に狙いを定めて、確実にシンプルにときめくものを探すのも面白いと思いませんか?
人生は有限です。
最短距離でときめく人生に向かい、それを味わい続けることを、僕は推していきたいです。
そしてそのための自己分析も楽しく出来たら最高だなと思ったので、僕はゲーム業界という遊びの最前線で学んだことを活かし、自己分析を広めていこうと思いました。
まだまだ僕も挑戦をし始めたばかりで、これから多くの葛藤や壁にぶつかることもあると思いますが、誰よりも人生を楽しんでやろうと思っています!笑
これを読んでくださっているみなさんにも、ぜひ人生に没頭してほしいです。
これからワクワクすることをどんどん経験していき、それを発信していく予定です!
また、僕のワークを受けてくれた方へのインタビュー内容を掲載していき、その変化などをお届けできればと思うので、ご期待ください!
最後までご覧いただき、ありがとうございました!!